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作詞講座第二章 叙事詞はたいやきに学べ 14

歌の大きな特徴の一つとして「聴き手は気に入った歌をくりかえし聴く」ことがあげられます。聴き手は共感を持った歌=曲をくりかえし聴くことを当然の行為だと思っています。

くりかえし聴くのであれば、物語の展開の重要性はその程度=回数が多くなれば希薄になるように思われますが、実際は違うのです。

メディアの変化を最初に受けた芸能は音楽です。

それまで人間が演奏あるいは歌っている公の場所に行かなければ聴けなかった音楽も、レコードという再生メディアによって私的な場所で、いつでも聴けるようになりました。(日本には「門付(かどづけ)」という演者が家々を回って家の前で演奏する芸能が古くからありました。しかし、私的な場所で演奏するとはいえ「門付」の存在と、再生メディアであるレコードの発明は大きな違いがあります)

現在では、音だけでなく映像もビデオやDVDによって私的な場所で再生可能になりました。しかし、古くから再生メディアを持っていたという理由だけではなく、聴く場所を選ばない点、長さの点で音楽ほど再生メディアに適している芸能はありません。

歩きながら、電車に乗りながら、車を運転しながら、というように現在では、音楽は携行可能な存在となり再生されるようになりました。

それでは、再生される「物語」におけるおもしろさとは何でしょうか。

くりかえし聴かれる「物語」の代表として落語があげられます。なぜ展開のわかっている、結末のわかっている「物語」を人はくりかえし聴くのでしょうか。

その理由の一つに演者による違いがあります。落語では演者により「さげ」や「くすぐり」が変わることもありますし、演者個人の話芸を楽しむという側面があります。これは歌にもあてはまります。

ジャズのスタンダードナンバーは同じ歌が50年以上、数え切れない歌手によって歌われています。リズムフェイクやメロディフェイクやテンポやアレンジの変化で自分なりのスタイルで歌います。聴き手は歌手個人の持っている芸を楽しんでいるのです。

芸は同じ人間であっても日々変わります。生の舞台を見にいくのであれば、同じ人間が再現する同じ「物語」をくりかえし聴く理由もわかります。しかし、レコードやCDやビデオの場合はどうでしょうか。

同じ歌を、同じ落語を、あるいは同じ映画を、何度も見たり聴いたりする行為は「物語のおもしろさ」が「未知の物語を知るおもしろさ」だけであれば成り立たないことになります。

「物語のおもしろさ」の中に「既知の物語をくりかえし確認するおもしろさ」があることは間違いないでしょう。映画のような映像を含んだ作品は、くりかえし見ることで新たな発見があるでしょう。エキストラの人物のしぐさに注目したり、ストーリーを離れカメラアングルに注目したり、セットや衣装やアクセサリーに注目したりして、新たな発見をすることは容易であると思われます。

映画をくりかえし見る行為は「確認し発見するおもしろさ」である可能性もあります。

しかし、落語の場合はどうでしょうか。歌の場合はどうでしょうか。

歌の物語は叙事詞であっても落語よりさらに単純な筋であり、映像もありません。

音の情報に新たな発見を見出すこともできるでしょうが、歌をくりかえし聴く行為が各々の楽器のリバーブのかかり具合に注目しているとは思えないのです。


作詞講座第二章 叙事詞はたいやきに学べ 15


by フリーダムミュージックスクール・東京高円寺作詞講座作詞教室

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