コラム

ソングライティング(作詞・作曲)の話③

楽器ができないと、作曲ができないと思っている人がいますが、楽器ができることと作曲の能力とは何の関係もありません。

ちなみ私はドラマーで、ギターは弾けませんし、ピアノもコードを押さえられる位で、曲は一曲も弾けません。

作曲するときは、すべて頭の中だけで、浮かんだメロディーを譜面におこすだけです。

作曲能力はその人のメロディー感覚、ハーモニー感覚が重要で、耳が良ければ楽器ができなくても作曲はできるのです。


ソングライティング(作詞・作曲)の話②

作者不詳の音楽には、様々な歌詞がついていることが良くあります。

民謡や刑務所で作られた歌などがそれに当たります。

きっと、いろいろな人が自分流に歌詞をアレンジしたり、新たに作ったりして、そういう事になったのでしょう。

子供の頃、替え歌を歌った人は多いと思います。新たな替え歌を作ったことのある人もいるでしょう。

これこそが、ソングライティングの一歩、作詞の一歩ではないか、と考えます。

民謡にしても、正調とか、なんとか調とか、メロディーにも違いがある場合があります。ということはメロディーも現在伝わっているものだけでなく、もっとたくさんあった可能性も考えられるのです。

とすれば、それもソングライティングの一歩、作曲の一歩である、言えるのです。


ソングライティング(作詞・作曲)の話①

シンガーソングライターとは作詞、作曲した自作の歌を歌う人のことです。

これはシンガー(歌手)+ソングライター(歌を作る人)を合わせた造語です。

ということは、シンガー抜きのソングライターもいるということです。

歌わないで作品だけを作っている人はあまり表に出てこないのですが、作詞作曲両方をこなしたソングライターはいっぱいいますし、アメリカには作詞家と作曲家の有名なコンビも多数います。

超有名どころとしてはコールポーターが作詞作曲両方をこなしていましたし、日本では浜口庫之助がいました。浜口庫之助は歌も歌っていましたので、日本のシンガーソングライターの先駆者といってよいと思います。

歌は誰にでも作れます。

何故そう断言できるのか?それはまた次回…


自分の身の丈に合った歌とは?④

歌手に一番必要なものはオネスティだ。

誠実さを持って歌と向き合わなければ、何も聴き手には伝わらない。

結局、自分の身の丈に合った歌とは、歌詞に込められている感情や哲学を自分の言葉として体重を乗せて歌えるかどうか?なのだ。

いい年をしたオヤジが女性アイドルの歌を歌う時に聴き手が感じる不真面目さとは、まさにオネスティのなさであろう。

素人がカラオケボックスで歌うのなら、それでかまわないかもしれないが、プロならば許されない。

素人であっても、聴き手に何か伝えたいと思うならば、最低このことだけは考えて曲を選ぶべきだと思う。

テクニックはそれから先の問題なのだ。


自分の身の丈に合った歌とは?③

歌という表現方法は芝居と比べると演者のリアルさと密接である。

演技は基本的に他者になることを要求されるが、歌を歌うのはどこまで行っても自分である。

ミュージカルなどは演技の要素が入ってくるだろうが、歌だけ歌う場合は他者になることは無い。あるいは要求されていない。

演技においては演じ手から見ると、他者になる快感というものがある。

歌においても自分から遠い感情やシチュエーションを歌う快感というものがあるかもしれないが、聴き手がそれを要求していないのだ。

例えば、女子高生の心情を歌った歌ではセイラー服を、漁師が主人公の歌では長靴とタオル鉢巻を、などと衣装を代えて歌う歌手はいない。

それは聴き手がそんな要求をしないということだ。そこが芝居との違いである。

演歌歌手などはどんな惨めな貧しい主人公の歌でも、派手なドレスや豪華な振袖を着て歌うが、聴き手は誰一人違和感を持たないのが普通だ。

歌はどこまで行っても自分という一人のリアルなキャラクターのままだ、ということである。

そこで、リアルな自分を裏切らない歌を歌う必要性が出てくるのである。




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