作詞講座

作詞講座第二章 叙事詞はたいやきに学べ 21

二番のサビが終わると、物語は急展開します。

空腹のあまり「ぼく」が「エビ」だと思って食べたのは「つりばり」だったのです。そしてメロディもまたサビに戻り、「ぼく」がもがき苦しむさまが、サビの盛り上がりとともに効果的に描かれます。

その後、すぐAメロにもどり「ぼく」を吊り上げたのが中年の男性で、彼が驚いたことが語られ、物語は一応おわります。

もし、ここでこの物語がおわっていたとしてもこの詞はすぐれているといえます。

リフレイン効果をねらうなら、このBAをもう一度くりかえし、歌の後エンディング(後奏)を入れるという方法もあったでしょう。

しかし、そうしなかったことで、この歌はさらに完璧な世界になりました。

短いブリッジ2が入り、結末の前に小休止です。

「やっぱり ぼくは タイヤキさ」
「すこし こげある タイヤキさ」

ここで、初めて「ぼく」が「タイヤキ」であることが独白として語られます。

『およげ!たいやきくん』というタイトルであるにもかかわらず、何故「タイヤキ」という単語を使わなかったがここで明らかになります。

「タイヤキ」をそれまで使わなかったことで、この二行の独白が際立だちました。この二行を入れたことがこの詞の最も優れている点なのです。

この二行の重要性を確認するために、この物語をキーワードでふりかえりましょう。

「起」 誕生 日常 存在の不安 反抗 逃避

「承」 自由 快楽 喜び 業 賛同 対立 欲望

「転」 挫折 苦悩 回帰 

    諦観

「結」 死

このキーワードから、何がわかるでしょうか。

これは誕生から死までの一生を描いていた物語です。

自由を手に入れた「ぼく」は吊り上げられ(挫折)もがき(苦悩)人間の世界=現実に戻ってきます。(回帰)後は食べられて(死)おわりです。

挫折して、苦悩して、元に戻ってただ死ぬのはあんまりです。「転」と「結」の間に「諦観」というキーワードを入れました。この「諦観」が、独白の二行なのです。

「散々、好き勝手やらしてもらったが、ぼくはたい焼きだったんだ。たい焼きの使命は人においしく食べてもらうことじゃないか、このコゲもすこし嫌だったけど、たい焼きの証じゃないか、自信を持って食べてもらおう。このおじさんに食べてもらえれば、ぼくの一生はしあわせだったんだ」

ありのままの自己を受け入れることで、「ぼく」は存在の不安から開放され、店のおじさん(生みの親)を許し、本来の生に気づくのです。このように「ぼく」が諦観したことで「死」の悲惨さが回避され、「人生」ならぬ「タイヤキ生」が完結するのです。

解釈に多少の強引さは認めますが、矛盾はないでしょう。

作者だって、ここまで考えてはいなかったでしょうし、これが数ある解釈のひとつに過ぎないことも承知の上です。

でも、深読みができるということが、この詞がすばらしい詞である証なのです。

「よい歌詞とは多様な解釈ができる」のです。

作詞講座第二章 叙事詞はたいやきに学べ 22


by フリーダムミュージックスクール・東京高円寺作詞講座作詞教室

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