作詞講座第二章 叙事詞はたいやきに学べ 3
歌はどうでしょうか。
コンサートにおいて観客は、歌手の目の前にいる存在としてあつかわれます。
観客は曲ごとに、あるいは曲間でも拍手して、歌手はそれにこたえます。時には歌手から拍手を求め、客席にマイクを向け、観客に歌うことを要請したりもします。
歌の途中でも歓声にこたえて手を振ったりもします。
もちろん、観客の反応で歌詞が変わったりはしませんが、サビのリフレイン(くりかえし)が長くなったりします。
客席が盛りあがりアンコールがあれば、それにこたえます。そして、歌の物語の登場人物は、名前もなく、年齢も、職業もわからない場合がほとんどです。それでいいのです。
一人称で歌われる場合、歌の物語の主人公である「わたし」は常に素性のわからない存在です。
このようなことは芝居ではありえません。
そして、よくわからない存在である「わたし」を実体化するのが、歌手の肉体であり肉声なのです。
聴き手は意識的にも、無意識的にも、歌手が「わたし」と歌う時、現実に存在する人間である歌手と、架空の存在である歌の主人公を重ねあわせているのです。
歌の物語においては「主人公=歌手」「わたし=歌手」です。「主人公の声=歌手の声」なのです。主人公の素性がよくわからなくても、現実に歌っている歌手の身体が、声が、それを埋め合せてくれます。
さらに、歌の特性として、観客も簡単に歌い手になることができます。
カラオケが普及している現在はもちろん、カラオケがない時代から人々は歌ってきました。伴奏のあるなし、うまいへたも関係なく、はな歌でも歌い手になれることに変わりはありません。
観客が歌い手になった場合「主人公=自分自身」になります。
ここで、歌の物語では「わたし=歌手=観客」という公式が成り立ちます。
ゆえに、歌の主人公に簡単に感情移入でき、観客は主人公を自己と同一視することになります。脇役である「あなた」の素性が明らかでなくても、観客が自らの想像力でおぎなえばいいのです。結果として百人の観客がいれば百通りの「わたし」像と、百通りの「あなた」像が生まれることになります。これこそが、歌の特性であり、良さなのです。
「歌は三分間のドラマである」
これに類する形容は多々あり、もはや誰も使わないほど手垢まみれですが、この言葉を噛み砕くとどうなるでしょうか。
「歌は三分程度の短い時間で、まるで芝居のように聴き手に感動を与え共感を得ることのできるまれな芸能である」となります。
確かに、歌は芝居のように聴き手に感動を与えることができますが、芝居ではありません。ここで、もう一度芝居における物語とは何かを整理してみましょう。
作詞講座第二章 叙事詞はたいやきに学べ 4
by フリーダムミュージックスクール・東京高円寺作詞講座作詞教室


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