作詞講座第一章 作詞の基礎知識 2

現代詩のように、印刷されて活字になり目で読む詩と、メロディがついて音になり耳で聴く歌の詞とでは根本的な違いがあります。

歌の詞には現代詩にはない、いくつかの「きまりごと」があります。それゆえに歌の詞はおもしろいのですが、作詞という作業をしたことのない人は、当然ですがその「きまりごと」を知りません。知らなければおもしろさもわかりません。

作詞の入門書は数多く出版され、本屋の実用書のコーナーへ行けば、何冊かは置いてあります。その本をどれか一冊でも読めば、作詞についてかなりのことがわかるでしょう。

しかし、その本は実際に歌の詞を作ってみたいと思わない人にとっては、おもしろい読み物ではありません。

盆栽に興味のない人が、『盆栽入門』を完読する程度につまらなく、爬虫類に興味のない人が『正しい爬虫類の飼い方』を完読する程度に退屈であろう、と思われます。

そこで、その「きまりごと」について書いていきます。

「詩」と「詞」。この二つの漢字の使用方法は明確に決められています。

「詞」という漢字は「歌詞」あるいは「歌の詞」以外で使われることはありません。自称「詩人」はたくさんいますが、「詞人」はいません。

「現代詞」や「歌詩」という表記があったら、間違いなく誤植です。使用方法に間違いはありませんが、では何が違うのか、あらためて問われると困ってしまう人も多いはずです。

英語で詩はポエム(Poem)です。では詞=歌詞は?


日本ではあまり定着していませんが、リリック(Lyric)です。現代ポピュラーミュージック発祥の地アメリカ合衆国でもソングライターの専門書はこの二つを明確に区別しています。

歌詞の本来の意味は「和歌に用いられることば」で、読みは「うたことば」です。推測ですが、明治以降、和歌以外の歌にも流用したか、リリック(Lyric)の訳語として使ったのでしょう。

そこで次の問題です。

詩と歌詞はどう違うのか?

現代では、詩は書かれた時点で完成された作品です。

現代では、とあえて書いたのは、かつて詩はヨーロッパでも、日本でも朗読されるものだったからです。今、ふつう詩といえば現代詩のことですから、書かれた時点、そして印刷された時点、つまり人が読める体裁がととのっていれば完成された作品といっていいでしょう。


もちろん、そのあとで朗読されることもあるでしょうが、朗読されなければ完成されない、ということはありません。それに対して、歌詞は曲がついて、歌われて、初めて完成された作品になります。

つまり、自分で歌うか、誰かに歌ってもらうかしなければ歌詞は完成しないのです。

日記帳に、あるいは大学ノートに詩(のようなもの)を書いたことのある人は多いでしょう。

出来の良し悪しはともかく、他人が読める字で書いてあれば、その詩は完成された作品です。日記帳に歌詞(あるいは当人だけが歌詞と思いこんでいる)を書いた人はいるでしょうか。

永遠にメロディと出会うことのない。つまり、誰にも歌われることのないその詞は完成された作品でしょうか。

もちろん違います。

何故、歌詞は書かれた時点で完成された作品ではないと断言できるのか、それは歌詞が作曲者と歌手という二つのハードルを越えなければ受け手に届かないからです。いくら歌詞だけ書いても、

「いい詞だね、オレ曲書くよ」

と作曲者に、そして、

「いい曲ね、ワタシ歌いたい」

と歌手に思ってもらわなければ、あなたの歌詞は誰にも聴いてもらえないのです。

現代の日本は資本主義社会ですから、金さえ出せば「あなたの詞に曲をつけてCDにします」などという商売もあるようですが、作曲する人はさぞ苦労するでしょう。何故、歌にならない詞があるのか?そこには詩と歌詞の発生的な、宿命的な、本質的な、決定的な違いがあるのです。

現代詩は自由律詩です。ぶっちゃけて言えば、一行を何文字にしようが、全部で何行にしようが書く奴の勝手さ、ということです。

これに対して定型詩があります。

日本では俳句、和歌が定型詩の代表です。

歌詞はどうなのかというと、歌の詞は自由律詩と定型詩の中間に位置する特殊な詞です。俳句のように五七五という定型はありませんが、メロディ(メロディが持っているリズム)という制約があります。

一番が二行で二番が五十行で三番が八行などというアバンギャルドな歌はありえません。さらにメロディに合わせて一行の中で定型の字数(これを字足=じあしといいます)が決まってくるからです。この字足の原則を無視した歌詞はないのです。

一番と二番の歌詞の字数が違っていては歌の詞にならないのです。


作詞学講座第一章 作詞の基礎知識 3



by フリーダムミュージックスクール・東京高円寺作詞講座作詞教室

タグ:

おすすめ関連記事はこちら