作詞講座第二章 叙事詞はたいやきに学べ 15

落語や歌をくりかえし聴く行為は「感動の再現」あるいは「感動の再確認」ではないでしょうか。

歌が「共感」を得やすく、「感情移入」がしやすいジャンルであることはすでに書きました。

くりかえし聴くという行為の動機として、その歌に「共感」したからであることは確かです。「反感」を持った歌をくりかえし聴く人がいるとしたら、社会生活になじめないことは保証します。

悲しい歌であれ、楽しい歌であれ、感動し、共感し、くりかえし聴き、「感動を再確認」していると考えるのが妥当でしょう。落語の場合もある所で入るはずの「くすぐり」を待ちながら笑いにそなえ、その通り「くすぐり」が話されると笑い、「感動の再確認」を行っていると考えられます。

もう一つ、人は誰しも、今日の自分と明日の自分は同じ自分で、連続した存在であると通常考えていますが、はたしてそうでしょうか。

ある日聴いた歌になんの「共感」も持てなかったのが、別の日には「共感」を持てた、といった体験は誰にでもあります。

恋愛関係がうまくいっていた時には、気にもとめていなかった失恋をテーマにしたラブソングが相手と別れたあと聴いたら「共感」を持てた、といった場合があります。

あるいは、何もかもうまくいかず失意の中聴いて涙した歌が、そのあと、順風満帆となった時、なんとも思わなかった、といった場合もあります。逆に、ある歌を聴くと、その時の自分の感情がよみがえりいつでも泣ける、といった人もいるでしょう。

人が自分は連続した存在であり、今日の自分と昨日の自分と明日の自分は同じ自分であると思うのは、感情というものが変化しやすく、また人はそれに左右されやすい、とわかっているからです。

どんな状況下においても(例えば、入学試験に合格した日に前から好きだった彼女に告白され、かつ宝くじで一億円当たった時も、自分の留守中に家が火事になり、家族全員が死んでしまった時も)、一定の刺激(同じ歌)に対して同じ反応(感情)を示す人がいたら、精神の障害を疑ったほうがいいでしょう。

人は日々変わるがゆえに、日々「感動の再確認」をしたいのです。

くりかえし聴くという行為が「感動の再確認」であるとすれば、「未知の物語」であろうが「既知の物語」であろうが、物語の完成度の高さを常に求めるのは当然でしょう。

次の展開を知っていても、あるいは知っているがゆえに聴くたびに感情をリセットしたいのです。自分をリセットして、その歌を聴く前の自分に戻したいのです。そうだとすれば、聴くたびに物語の展開の重要性が薄れていくことはなくなります。

歌に限らず、気に入った作品をくりかえし聴いたり、見たりする行為の本質はこの辺りにあるのではないでしょうか。

あるいは、文字のなかった時代、口伝によって受け継がれてきた太古からの民族の神話をくりかえし聴き、子孫へと伝えた記憶が我々の細胞に宿っているのでしょうか。

とにかく、再生により物語の展開の重要性が希薄になることはないのです。


作詞講座第二章 叙事詞はたいやきに学べ 16

by フリーダムミュージックスクール・東京高円寺作詞講座作詞教室

タグ:

おすすめ関連記事はこちら